「保育園落ちた!日本死ね!」…から日本を考える(^_^;) その2

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『写真は4月3日 府中郷土の森公園河川敷での花見にて』




このブログをご覧の方はご存知かと思いますが…
私は安倍政権のヤルコトナスコトに否定的で
"この問題"での国会でのやり取りはネットで見ましたが
政府側のヤジや対応は私のイメージ?通りのお笑いモノです(^_^;)



でも、どうしてもコノ問題で違和感を感じてしまうのは…
「保育園落ちた!日本死ね!」という言葉自身です。
どうして保育園に落ちたぐらいで
ママさんたちがそんな言葉を吐かなけれならないのか?


"子育て"は親として最重要な責務で楽しみと私は思っています。
これは人類何万年の歴史で"お金に変えられない価値"では
無いでしょうか?
34年前、私が生後6ヶ月の娘を保育園に入れた目的は
共働きで働く為には"どうしても"ではなく…
ユキ(妻)が結婚の条件として"共働き"を望んでいたので(^_^;)
その当然の流れとして子供を保育園に入れたのです。



結婚した頃は二人合わせるとソコソコの収入があって…
後で知ったのですが…
平均よりかなり高額な月謝?を払っていたようで
今の我が家の経済状態ではとても考えられない事でした(^_^;)
でもソレは娘の為にも…
そして何より現在も共働き?で経費をかけずに
ライフワークとして保険代理店を細く長く続けられているのは
そのヨーなスタートがあったからだと思っているのです。



こんな事を書くと「時代が違う…」と言われそーですが(^_^;)
ソノもっと昔には保育園など無かったのです。
どうしてたかというと人類は古今東西
大家族やコミニティの中で当然の事として子育ては
行なわれて来たのです。



では…なぜ?
「保育園落ちた!日本死ね!」がママさんたちや
多くの人たちに支持され、政府が攻撃されるのか?
『この現象こそ…アベノミクスの正体』
だと私は思っているのです(^_^;)



次回に続く…




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