そもそも…暴力装置って?


『写真は12月11日岩波ホール




暴力装置』という言葉をはじめて聞いたのは…2010年11月
政権与党だった民主党内閣の仙谷由人官房長官が国会の予算委員会
暴力装置である自衛隊が…」と発言した事で
当時野党だった自民党もマスコミも大問題として
仙谷官房長官は表現が不適切だったと「実力組織」と訂正し謝罪しました。
そして、?昨年12月の衆議院選挙でも落選します(^_^;)




私は『暴力装置』とはウマイ表現だなと思っていたのですが(^_^;)
これは後で知った事ですが仙谷氏のオリジナルではなく
ドイツの社会学者・マックス・ヴェーバーの1919年「職業としての政治」で
述べられている言葉のようです(あくまでドイツ語を訳したものですが)
その中で彼は…国家とは暴力を背景とした「人間の人間に対する支配関係」であり
その存在(国家)にとっては被治者(国民)の服従が必要であると規定するのです。




すなわち国家を統治していく為には…
国民を法律によって死刑にする事や、戦争で人権が蹂躙される事も当然の事であって、
そう言った暴力装置を合法的に持ったのが国家だと言っているのです。



警察も自衛隊も軍隊も刑務所も…
良いとか悪いとかでなく国家が必然的に持っている「暴力装置」だという事です。
国民は法律によって国家の暴力装置に拘束される運命にあるわけですから、
その暴力装置…すなわち国家権力の暴走から守るための
唯の一法律として”憲法”があるというのが多くの近代国家の考えです。


自民党のアノ石破幹事長も
マックス・ヴェバーの国家に暴力装置は不可欠という事には理解を示し
日本国家にとっても軍隊は不可欠となるのかも知れませんが(^_^;)
その暴力装置に歯止めをかえるのが”憲法”であるというのは
トボケているのか、知らないのか、知らなふりをしているのか、私は知りません(^_^;)


自民党憲法改正案は…
これまでの基本的人権を軸にした憲法から「国の形」を規定した憲法にして
国と国民が一緒になってみんなで考えながら良い国家にしようというもののようです(^_^;)



憲法は…国家権力の暴走から国民の基本的人権を守るために存在なのか?
それとも自民党憲法改正で主張する…
”国の形”を憲法で規定し、国民をも憲法で拘束するものに改定するのか?
国家の暴力装置…について考えてみるの事も大切なような気がします(^_^;)






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