日本人とFacebook…プライバシーとは?


【写真は9月22日・飯山森の家】




日本人の多くがFacebookが実名と顔写真を出す事を原則としている事や
プライバシーが侵害される事に抵抗を感じているようです。




そもそも日本語には『プライバシー』に相当する言葉は無いといわれています。
映画【3丁目の夕日】はそれを象徴するような誰もがあけっぴろげで
オープンで助け合ったりケンカをしていた正に私の小学生時代の東京が描かれ
映画がヒットしたと言う事は、その映画の世界に共感や懐かしさを感じた
日本人が数多くいたという事ではないでしょうか。




『プライバシー』の本場?である欧米ではFacebookで実名や顔写真を出すことに
抵抗を感じる人が少ないようですが
実名や顔写真なんてものはプライバシーとは関係ないと思っているのでしょう。
 



ではプライバシーとはいったい何なのでしょうか?
グッグてみると「場所的・空間的概念」…と難しく解説されています。(^_^;)
でも例えば3.11での避難所生活から考えるとなんとなく判るような気がします。
お互い名前や顔はもちろん色々な事は判って協同生活はしていても
最低限個人の尊厳として守りたい領域は誰でも持っているものです。
最初はただ広いだけの体育館も、それが長く続くと家族単位の仕切りが出来て
その中でまた家族ひとりひとりの極小さな領域が出来たりして
それを皆でで尊重していこうというのが”プライバシー”の基本のような
気がするのですが間違っているでしょうか?




そう考えると「プライバシーを守る」というのは…
ひょっとしたら日本人の得意分野ではないかとも思えていくるのです。
欧米の”鍵の文化”とちがって、日本の住居は紙でできた襖・障子・屏風や
布や縄でできたのれんなんかで仕切られていて
「ウチのれんをくぐったからにゃ〜!…」なんて啖呵をきったり(^_^;)
日本人は個の領域を”鍵”という物理的なものでガードするのではなく
暗黙の了解や約束事の中で個の領域やプライバシーを大切にしてきたようです。
こういった事が通用したのは日本が世界でも珍しい
一言語・一民族?で独自性の高度な文化を持った国だったからでしょう。




今や世界中のどこにいても価値観を共有出来る人と自由に繋がる時代の中で
日本文化は世界から見直されても良いと思うのですが…その日本では(^_^;)



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