私が恐いと思うのは(^_^;) 続き


【写真は9月8日・お菓子の文化村茶屋エポックにて】




前回はこれを書く事になったマエオキで終わってしまいましたが(^_^;)
本題に入る前にまた一言だけお断りしておきます。
これはTさんが私のコメントに対して「…怖いですか?」と訊ねられたので
私が”恐く感じたところを書くだけであってTさんに反論するものではありません。




摘菜収という若い哲学者が
竹島尖閣で領土を巡って国同士で争っている状況の中で
「守べきは国土ではない…」と三島由紀夫の言葉をかりて日本の美意識を解き。
橋下徹文楽協会の補助金に絡んで古典芸能の文楽をコキオロシタ事に対して
これも三島由紀夫の言葉を軸に橋下徹をコキオロスしていくのは
なかなか面白い展開で頷くところも多々あります。




しかし、この記事の最後に書かれた…
そして私も前回のブログの最後に掲載した
>伝統の破壊者(ここでは橋下徹)に対し日本人が拍手喝采を送るようになったとき
>国家は内部から崩壊するのである。(てきなおさむ)   
…というところに”恐い”ものを感じてしまうのです。(^_^;)




そもそも伝統とは何でしょうか? 国家とはなんでしょうか?
橋下徹がコキオロシタ文楽だって最初から古典芸能では無かったはずです。
国家という形が鮮明になったのは人類の長い歴史から見たら最近の話しです(^_^;)
したがって今ある伝統や国家がこれから未来永劫続けようなんて事は不可能で
それをむりやり維持しようと思った時から腐敗や衰退が始まる事は
古今東西の歴史が証明しているのではないでしょうか。




三島由紀夫の美学は日本古来からあったものの一部を
三島自身の感性や才能や性的嗜好から取り上げた”芸術”であって
それを理解出来ない日本人がいたとしても、それを理解出来る外国人がいたとしても…
まったく問題でないと私は思うのです。




三島美学に心酔した哲学者が大衆迎合ポピュリズムによって
ソレラが軽んじられていく事に怒りを持つのは私にも理解できますが
国民はそれほどバカでは無いし、これからはモット賢明になると思っているのです。
なぜならば…インターネットの革新的拡がりを見る時代なのですから(^_^;)



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