『墨田』に…なぜ魅かれるのか?

  


私が”墨田”にあしげく行くようになったのは、これまでに触れたように
モモさんが先年、恵比寿(渋谷区)から墨田に引っ越してたからです。
私もモノ心ついた時から成人する頃まで渋谷に住んで杉並・川崎と首都圏に在住していますが
”墨田”にほとんど馴染みがありませんでした。
もちろん首都圏で保険代理店を営んでいるわけですから
今、厳密に調べたら2件のご契約者がいらっしゃいました(^_^;)




圧倒的に東京左半分で右半分は極僅かで、
まして隅田川の右側、”墨東”となると数えるぐらいなのです。
しかし江戸時代から戦前・戦後の庶民文化の中心は東京右半分で、
左半分のほとんどは戦後の高度成長で一気に近代都市に一変たのです。
私が6年間通った”渋谷小学校” 住居だった当時としては近代的な鉄筋アパートも
今はまったく姿も形も消えてしまい、キレイに整備された道路の”勾配”だけが当時の
面影を残して、それがなければ遠くの景色もビルで遮られ当時をしのぶ事も出来ないのです。




それよりも残念なのは6年間一緒に小学校時代を過した同学年66人(卒業時)の仲間の消息は
商売をやっていたところですら、誰ひとり判らなくなっているのです。
ところが墨田でいろいろな人たちとお友だちになって繋がっていくと
「私と彼女は中学時代の同級生でして…」とか学校つながりの幼馴染がけっこういるのです。
私の住んでいた渋谷区美竹町は渋谷区渋谷一丁目となんの情緒も無いものになってしまいましたが
モモさんの墨田区本所もそうですが時代劇に出てくる地名がそのまま残っていて
墨田区をじっくり散策したいと思っています。




東京左半分は人と人の繋がりを遮断しビジネス中心の効率的な都市を形成し、
その路線は変る事が出来ないようです。
しかし墨田は昔からの下町の庶民文化が健在で…
さらに伝統的な江戸文化も見直そうという”遊び心”の萌芽もチラホラあって
住んで楽しい町になっていく事は間違いないようです。




そして今、何より墨田に魅かれるのは…
私のFacebookの”友だち”の約4割の150名が墨田の関係になってしまい
自然に墨田情報が目に着くようになってしまった事。
Facebookでゆる〜くオープンに繋がる事で展開がどんどん広がっていくのが
手をとるように見えてきてとても勉強になるという事。
なによりみんな呑んベイで楽しいという…最後は同じ結論になってしまいました(^_^;)


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