私の発想の原点…私の履歴書?


【写真は11月13日・古民家映画祭(飯山)】



1969年、私は高度成長の時代に大学を卒業し、
洋菓子や飲食店の店舗経営の現場で三十代の終わりまで携わり
高度成長時代の事業パターンが通用しなくなった事をいち早く感じました。




1986年、今にして思えばバブルが始まった頃、
共働きで娘が保育園に通っていて、時間も自由にコントロールが出来て
お金も人も固定費も店舗もいらずに”お店”が持てるとの思いで
私がT社の保険代理店の研修生になりました。




その頃、私が所属する支社では法人向けの節税・財テクプランの全盛期。
一時払積立傷害保険を銀行からの借入金で契約して、その金利を損金処理。
満期時には借入金を満返金から返済し…”配当金たっぷり付くので”
節税効果・福祉効果・財テクにもなると言うフレコミです。




私は保険業界とは凄いところだと驚くばかりでしたが、それでも知ってる法人から
いくつかの契約を取りました。
問題は5年後・10年後に満期を迎えた時です、
たっぷり付くはずの配当金がほとんど無いのです。(^_^;)
その頃にはもうキャンペーンを張って代理店を指導していた社員は皆転勤。
残っているのは事務の女子社員と保険代理店だけです(^_^;)
この時から、自分が責任を取れそうもない保険会社のキャンペーンには
乗るべきでは無いとの思いを強く持つようになりました。




その同じ頃「海外から入ってくる絵画に保険を掛けたいのだけど…」と
銀座の画廊に勤める友人から依頼がありました。
クリスティーズとかサザビーズのオークションから競り落とした絵画の日本までの
運送保険で、それをT社の海上保険と繋ぐだけで多くの手数料が頂けました。
しかし、こんな事は長く続かず、
それまで地道にやっていた多くの画廊も、
そんなモノに手を出しため絵画価格の暴落で銀座から消えていきました。(^_^;)




1991年、今にして思えばバブル崩壊が始まった頃
その12月に私は前々号で書いた”とんでもない買い物”をするわけです。
「今がチャンス!」という業者の言葉やマスコミ情報を信じてしまったのです…(^_^;)



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